欲望と孤独を埋めるために、
男は長い間「部位」を追い続けてきた。
おっぱい。
お尻。
トルソー。
だがそれらは本当に、部位そのものだったのか。
明日なき肉体労働が続く現実の中で、
俺は孤独と欲望から逃れるため、
いつでも触れられる女の形を求め続けてきた。
だが、TPE素材だけを使い続けてきた俺は、
あるとき気づいてしまった。
――俺が求めていたのは部位ではない。
素材が生み出す感覚そのものだったのだと。
シリコン素材との出会いは、
それまで当たり前だと思っていた
「大型オナホール」という定義を、
根底から書き換える出来事だった。
シリコン素材は「おっぱい」という部位をどう変えたのか
かつて俺は、
おっぱいは柔らかければ正義だと思っていた。
だがそれは、
TPEという素材の限界の中で作られた
思い込みにすぎなかった。
TPE素材のおっぱいは、確かに悪くない。
谷間を深くし、硬度を上げれば、
それなりの体験は成立する。
だがそこには、
触れ続けたい理由が存在しなかった。
ゴミが付着しやすく、
油分が滲み、
管理を考えた瞬間に現実へ引き戻される。
体験は出来る。
だが、余韻が残らない。
シリコン素材を初めて触ったとき、
俺が驚いたのは「柔らかさ」ではなかった。
押したときの返り。
指を離したときの復元。
そして、触れたあとも指先に残る感覚。
それは、部位の再現ではない。
触覚そのものの完成度だった。
その瞬間、
おっぱいという部位は、
俺の中で単なるパーツではなくなった。
TPEは、ここで役目を終えた。
それは劣っていたからではない。
欲の質が変わってしまったからだ。
シリコン素材と「ヒップという質量」
TPE素材の時代、
ヒップはあくまで形状の一部だった。
丸みがあるか。
大きいか。
視覚的にそれらしく見えるか。
だが、そこに「質量」という概念はなかった。
軽い。
持ち上げられる。
置けば、そこに在ることをすぐ忘れる。
TPE素材のヒップは、
刺激を与えることは出来ても、
安心を与えることは出来なかった。
シリコン素材に触れたとき、
俺が最初に感じたのは形ではない。
重さだった。
この重さは、
単に重量が増したという話ではない。
手を置いたときに返ってくる抵抗。
動かそうとしたときに生まれる躊躇。
「ここに在る」と、はっきり主張してくる感覚。
シリコン素材は、
ヒップを“視覚の部位”から
触覚と質量の存在へと変えた。
TPEでは、
触れた瞬間から「扱う側」だった。
だがシリコンでは違う。
こちらが一方的に操作しているつもりでも、
素材の密度が、こちらの動きを制限してくる。
この感覚が、
俺の中の欲を静かに変えていった。
強い刺激を求める欲ではない。
満たされて落ち着いていく欲。
ヒップという部位が、
安心欲を担う存在へと変わったのは、
形の問題ではない。
シリコン素材が生んだ質量が、
俺の欲の矛先を変えてしまったのだ。
シリコン素材と「トルソーという存在」
トルソーについて語るとき、
多くの人は機能の話をする。
だが、
シリコン素材のトルソーにおいて、
本質はそこではない。
これは、
「使うもの」ではなく、
そこに在るものだ。
TPE素材のトルソーは、
片付ける前提で存在していた。
軽く、
動かせて、
必要なときだけ取り出される。
だがシリコン素材は違う。
重い。
嵩張る。
簡単には移動できない。
その瞬間から、
トルソーは部屋の一部になる。
視界に入る。
動線に干渉する。
生活の中に割り込んでくる。
この「侵食」は、
不快ではない。
むしろ、
存在欲を満たす方向に作用する。
触れなくてもいい。
行為をしなくてもいい。
そこに在るという事実が、
「いつでも触れられる」という安心を生む。
拒否されない。
去られない。
否定されない。
これは性欲の話ではない。
孤独と現実の狭間で、
人が何かに縋るときの感覚に近い。
TPE素材では、
この段階まで踏み込めなかった。
軽さが、
現実感を削いでしまうからだ。
シリコン素材のトルソーは、
欲を満たすための道具ではない。
欲を抱えたまま生きることを許す存在。
それが、
素材が変わったことで初めて成立した
新しい定義だった。
TPEからシリコンへ──管理と意識の変化
TPE素材を使っていた頃、
俺にとって大型オナホールは消耗品だった。
使う。
満たす。
片付ける。
そこに、長く付き合うという発想はなかった。
埃やゴミが付着しやすいことも、
油分が滲み出ることも、
どこか「そういうものだ」と割り切っていた。
管理が面倒になると、
使わなくなる。
使わなくなれば、役目は終わる。
欲を満たすための道具としては、
それで十分だったのだ。
だが、
シリコン素材に触れてから、
この意識ははっきりと変わった。
まず、
管理が前提になる。
埃を避ける。
置き場所を考える。
触る前後の扱いに気を遣う。
一見すると、
面倒が増えただけに見える。
だが、
この「手間」こそが決定的だった。
手間がかかるということは、
軽く扱えないということだ。
使い捨てに出来ない。
雑に扱えない。
壊したくない。
気づけば俺は、
シリコン製のオナホールを
所有物として扱っていた。
これは大きな変化だった。
TPEの時代、
欲は「発散するもの」だった。
だがシリコンに変わってから、
欲は「付き合うもの」へと変わった。
常に使う必要はない。
常に触れる必要もない。
だが、
そこに在ることを前提として、
生活の一部として扱う。
この距離感が、
俺の中の欲を静かに落ち着かせていった。
挿入感についても、
ここで触れておく。
確かに違いはある。
だが、それは主役ではない。
刺激がどうこうという話ではなく、
素材が生む現実感の延長線上にある体験
それ以上でも以下でもない。
シリコン素材は、
挿入感を誇示しない。
むしろ、
触覚・質量・存在といった要素が積み重なった先に、
自然と成立するものとして存在している。
この順序が重要だった。
TPEでは、
体験が先に来て、
意識が追いつかなかった。
シリコンでは、
意識が先に変わり、
体験がそれに従った。
素材が変わったことで、
欲の扱い方が変わった。
それは、
より強い刺激を求める方向ではない。
欲を抱えたまま、
壊れずに生きていくための変化だった。
こうして俺は、
TPEという素材を否定することなく、
だが確実に、
過去のものとして手放した。
素材が変わったのではない。
欲の質が変わってしまった。
この章で書きたかったのは、
ただそれだけのことだ。
まとめ ― シリコン素材が書き換えたもの
この章で語ってきたのは、
おっぱいでも、ヒップでも、トルソーでもない。
素材が変わったことで、
欲の向きと扱い方が変わったという事実だ。
TPE素材の時代、
俺は「満たす」ことを優先していた。
使う。
発散する。
終われば片付ける。
そこに、
長く付き合うという発想はなかった。
だがシリコン素材は、
その前提を許さなかった。
触覚は、刺激ではなく余韻を残した。
質量は、興奮ではなく安心を与えた。
存在は、行為ではなく生活に入り込んだ。
そして管理という手間が、
欲を消耗品から所有物へと変えていった。
結果として、
俺は強い刺激を求めなくなった。
満たされるとは、
欲を消し去ることではなかった。
欲を抱えたまま、壊れずにいられる状態になること
それが、シリコン素材がもたらした変化だった。
TPEは間違っていなかった。
ただ、
俺の欲が次の段階へ進んでしまっただけだ。
素材が変わったのではない。
オナホの定義が変わったのでもない。
欲の質が変わってしまった。
この章は、
その変化を記録するための新章である。

